昨日(2月8日)、中学時代の恩師のご自宅にお邪魔してきました。

だからと言うわけではないのですが。
自分自身の中学時代を振り返ってみました。
生き方や考え方、僕の価値観のベースとなったのはこの3年間だと思います。

僕は中学2年の時、同じクラスになった、「ちょっと悪い事しているグループ」の仲間に入るようになりました。
それまでの僕は、人前に出て目立つようなことをしたり、人から注目をひくのが苦手な子供でした。
ところがそのグループでは、たばこを吸ったり、スーパーで万引きしたり、友達の家にたむろして夜中まで騒いだり、バイクの無免許運転をしたり、女の子にモテたくてバンドまがいの活動をしたりしていました。
それまでいい子だった僕にとっては、とても刺激的で楽しい日々でした。
グループに入ってから半年近く経った頃、そのグループの誰かが、グループのメンバーである1人の友達を名指しして、「あいつ鬱陶しいから村八分しよう」と言い出しました。
メンバーの皆は面白がって従うようになりました。
その友達はいったい何が起こったのかわからないまま、ある朝、誰も口をきいてくれない状態に戸惑っていました。
僕は、彼が一人教室の席に座って寂しげな顔を見ていると、いたたまれなくなりました。
そして、僕自身が徐々にそのグループから距離を置くようになったのです。

仲間内の狭い関係性の中で一つの価値観に縛られると、必ずこういうことが起こるんだと、中2の僕は察知したんですね。きっと。
僕はこれ以降、そういうグループやコミュニティにはなるべく近づかないようにするようにしました。
自分も他人もお互いに認め合いながら、お互いに干渉しない、そういう関係性を重宝するようになりました。
狭く連続性の高い密な関係は、見た目には強固だけど、ひびが入ったら簡単に離れてしまうものだと思います。
緩く広く間隔の長い関係性。僕はそういう場所をずっと探して生きてきました。

そういう意味で、この勉強研究会や、パラキャリ&フリーランス協会、そして中学同窓会の場、などは僕にうってつけの場所だと思います。
自分も他人も認め合い、決して否定することなくゆっくりと流れていく時間の中で無理をせず、ただはっきりとした意味のある目的をもって、その目的を達成するための目標にみんな熱くなる。
そういう場所がこれからの企業の新しい形の組織の在り方ではないかと思います。
世の中のシステムが大きく変わっていく時代の中で、自分の価値観を大切にしながら、時代に合わせて少しずつ更新していくことも大切です。
そういう意味で僕は、前時代的になりつつある現代の組織の中で、自分の価値観を大切にしながら決して組織に埋もれることなく、漂うように生きてきました。
ある意味それは、自分の価値観を維持しつつも、環境に応じて更新をかけてきたのかも知れません。
33年という長きに渡り、企業の成長変化に伴って自分の価値観に更新をかけ、そして何とか漂って生きてきた。
しかしもう、そういう更新をかけずとも自分の裸のままの価値観で生きていけるのではないか?という期待をもって今回、外の世界に飛び出だしました。

昨日恩師が言ってました。
教育がすべてだと。中学教育は生徒を中心に教育を考えていかないといけない。
真っ向から生徒と向き合い、正直に関わることで絶対人は分かってくれると。
企業で起こる不祥事などを見るにつけ、教育、そしてその対象となる「人」が大切だと力説されておられました。

また、大阪が民間から校長を登用しているが、民間と教育の場は絶対に違うとおっしゃっていました。
また、全ての校長がそうではないがと注釈付きで、これからの日本がどうなるかを憂いていらっしゃいました。
人生100歳まで生きるとしたら、リカレント教育の重要性が非常に高まってくる。とも。
76歳というお年とは関係なく、ちゃんと本質を見ながら時代の流れを見極めておられる方だと思いました。
若くても何んの興味も意欲も目標も生きる意味をも考えず生きている人よりも、先生は全然若い!です。

今回自分の意思で会社を退職することをお伝えすると、「中野君は、ちゃんとタイミングを見極めて自分のやりたいことを始めるんやね。君ならしっかりしてるから大丈夫や。」と仰っていただきました。
嬉しくもあり、心強くもありました。
僕は僕が出来ることをして、この日本をより良い国になるように力を出していきたいと思います。
またその気持ちを強くすることが出来ました。
森田先生、有難うございました。