価値観好きの代表中野です(笑)
先日中学校時代の経験を元に自分の価値観を考えてみましたが、今回は働く上での価値観というテーマで書きたいと思います。
私が会社に入って、今までどうやって働いてきたのかを考えてみました。
入社後8年間営業をやり、その後23年に渡って情報システム部門でSEをやってきました。
その間、会社で書かされる、いわゆる「目標シート」(MBO)。
細かな違いはありますが、私の目標設定のほとんどは =良いシステムを作ること=だったんですね。
ですが、私自身、システムのテクノロジーやプログラムなどには全く興味が持てませんでした。
要するにシステムそのものには全く興味がないのです。
なんでこんな高いねん!と思うぐらいで、どうでもいいのです。
ですが、社内SEとしては、いいシステムを提供することが目標なんですね。
しかし私の価値観はそういうことでは満たされません。
恐らく勤めてた会社がゴリゴリのシステム技術志向会社であれば23年もやれてませんでしたね。
では、私はこのあまり興味の持てないシステムになぜ23年も従事できたのでしょうか?
それは、自分の価値観を満たすための行動が出来て、それが他の人のニーズを満たしたから。なんだと思います。
私のとっての仕事の目標は、「システムを安心して使っていただく事」だったんです。
つまり、システムを作ることも含めてサポートして使い方を十分わかってもらう。
それが僕にとっての働く上での価値観だったように思います。
どうすれば使いやすいシステムになるのか?を徹底的に考え、使う人との対話によって引き出してきました。
とにかく現場百回。
お前、ずっとここに座っとけ。とか、中野さんのデスクここに一つ用意します。
とか言われましたが、とにかく現場の人がどういう使い方をしているのか、困ってることはないのかを自分が安心するまで回りました。
電話サポートもどんどん受けたし、わからん!って言われたら席まで飛んでいきました。
それが僕の価値観「使う人が安心して使えるシステム」だったのです。
それがもし、「システムを作ることに価値観を置き、システム側の論理だけが大切」という組織の価値観だったとしたら私はとっくにその仕事から退いていたと思います。
使う人は使う人でルールを決めるべき、システム側が口出すものではない。
こちらは現場が差し出した業務キーマンと要件を詰めてそれに従ってシステムを提供するだけだ。
実際そういう価値観の上司に付いたこともありました。
ですが、管理職になるまでの約10年間の担当者時代は、一言もそういう指示はなかったですし悪く言えばまったくの放任でした。
担当課長さえ私の仕事には興味なかったようでした。
指示があったとしても恐らく無視して自分の価値観で動いていたと思います。
またシステムを作る側、つまりプログラマーさん側にも、使う人のニーズをちゃんと伝える努力や、プログラマーさん側の作りやすい処理内容とかも理解するようにして、作る側の人にとっても優しいシステムを心がけていました。
そこもつまりコミュニケーションです。お互いの理解、認識の共有です。
なぜ作りにくいのか、なぜその処理ではダメなのか、スケジュールがなぜ間に合わないのか?
丁寧に聴くことによってわかることも多かったです。
また、使う人が少しでも楽しく使っていただけるような小さな工夫も僕は大好きでした。
起動した最初の画面に、まったく必要のない小動物の写真や、風景写真などを大きく表示したり、ボタンの配置を斜めにしてちょっとアクセントにしたり。
当時のシステム画面はビジュアルベーシックというグレーに黒字の画面でアーティステックな面は一つもありませんでした。
そうやって自分の楽しみも少し入れてみたりして。
つまり、私が目標シートに書かされていた「良いシステムを提供する」は私にとって、単なる一つの手段でしかなかったのです。
ですが、実際に私が取ってる行動は目標シート(MBO)には表れない自分の価値観を満たす行動を取っていたのです。
それが、また使う人のニーズに合って、「システムと言えば中野」と言われていました。
それが僕の「何によって憶えられたいのか」だったのです。
働き方改革で言う、長時間労働の是正などは時間の問題ではないと思うのです。
前述した「手段」のために必死で働いている人が、唇噛みしめて苦虫つぶして必死の形相で働いてるから、長時間労働が苦痛になるのです。
自分が楽しくてやりがいがあって、何のためにこれをやっているのかが明確に自分の「目的」、つまり価値観に繋がっていれば、いくら長時間仕事をしても疲れないと思います。
僕はいま、こうやってキャリアコンサルタントで多くの人の役に立ちたいという目的があるから朝から晩までその仕事に没頭できます。
本当の働き方改革は、制度や制約ではなく、組織の在り方、価値の作り方、労働定義の見直しから始めないといけないと思います。
ただそういう気づきや流れが、働く人の側から出ていることがこの働き方改革を推し進める力になるのだろうと思っています。
ですので、裁量労働制のデータがどうのとか、私はどうでもいいと思っています。
(追記)
ただ、これはあくまで知識労働者の中での話です。
時間を提供して働く人や肉体を駆使して働く人については、もっと深い考察が必要なのかも知れません。
しかしそれも近い将来AIによってカバーできるのではないかと期待しております。
代表・中野