人の縁。
時に奇跡のようなことを起こしてくれる。

そんな話題をひとつ。

僕は若い頃から、散髪が苦手でした。
理由は、ずっと静かに座ってなければならないから。
あるいは、話しかけられると楽しくもない話に付き合わないといけないから。

なので、僕は美容院を転々としながら、何とか髪の毛をやり過ごしていました。
時には嫁さんに手伝ってもらいながら自分でカットしたり。

僕が40歳の頃、嫁さんから
「ママ友の山中さんから「うちの旦那の弟が西大寺で美容院を開いたから一度行ってみて~」
と言われたから、一度行ってみるわ。良かったらあんたも行ってみなよ。」
と言われました。

願ったり叶ったり。
それまでそんな状態だから、髪の毛が伸びてくると憂鬱だったんです。
次、どこ行こうかな?面倒くさいな。と。
だから、「あそこの店行ってくれ。」は僕にとってまさに神のお告げ。
はいはい、行ってみます!

それでも恐る恐る行きました。
どんな人だろう?「うちの旦那の弟」って人は。
けど、最初は「うちの旦那の弟の奥さん」が僕のカットを担当してくれました。
「うちの旦那の弟の奥さん」はすごくフランクで話しやすく、カットもとても上手でした。
3年ほど経ったころ、「うちの旦那の弟の奥さん」から、お子さんの学校の関係で土日が出れなくなったと
告げられました。
「だから今度から「うちの旦那」が担当させていだきますね。」と。

そして、それから「うちの旦那の弟(ややこしい!)」がずっと僕のカットを担当してくれました。
当時同じ車(アルファロメオ147)に乗っていて、どちらも車好きで、話をしてても楽しく、奥さん
以上にカットが僕に合いました。

それから4~5年経ったある日。
いつも車の話題しか出てなかったのですが、その日、なぜか音楽の話になりました。
僕 「キャロル、かっこよかったすね!」
旦那「けど僕が中学1年の時に解散してしまって生のキャロルは見れなかったですね。」
僕 「あれ?解散は小学校6年の時じゃない?」

実は僕は「うちの旦那の弟」は「うちの旦那の弟の奥さん」より2つ年下と聞いていたので、奥さんが僕より
1つ年上だと思っていたので、「うちの旦那の弟」は僕より一つ年下と思いこんでいました。
ややこしいな・・・

旦那「いや、間違いなく中1の時ですよ!」
僕 「え?昭和何年生まれ?」
旦那「僕は昭和36年ですよ。」
僕 「同い年?」「え?もしかしたら中学は富雄中学校?」
僕は彼の実家がどこにあるか、嫁さんから聞いて知っていました。

旦那「そうですよ。」
僕、旦那 「え?!同級生!?」

8年ほどお店に通っていて、5年ほどずっと担当してもらっていて、それまで全く気付いてなかった。
と言うのも、中学時代は全く接点がなく、1学年9クラスあって、360人居た結構なマンモス中学校だったから。
けどお互いに親しかった友人の名前は共通点が多く、ものすごく話に花が咲いて。
カットはすっかり終わっていたのに、話は尽きず、「あいつどうしてるんやろな~」とか「あの子可愛かった」
とかまるで中学校に戻ったように語りあいました。

それからというもの、中学の時の話題ばかりで。

僕は実はこの話の少し前から、他にもSNSで急に中学の同級生と繋がったりしていました。
そして、この奇跡のようなご縁。

これは、きっと俺に中学の同窓会の幹事をしろという神のお告げだ。
と勝手に思い込みました。

そして、彼に、「俺、同窓会やるわ」と告げたのでした。

それから数か月後、僕は1974年当時の住宅地図と中学校の卒業アルバムの住所録(当時は全員の住所が掲載
されていた)を持って、自転車で校区を回り、4日間かけて、まだ現存していた250軒ほどの同級生の実家に
ポスティングをしたのでした。


「富雄中学校の学年同窓会開催のお知らせ」
卒業して35年。全員が半世紀を生きたお祝いとして50歳になる2012年3月31日に開催します。

と書いた紙を封筒に入れました。

132名の同級生と恩師が3名、2012年3月31日に奈良のホテルに集結しました。
一気に皆が中学生に戻っていきました。
その顔は輝いて見えました。若さが戻ったような(^^♪
「誰やお前!」
全員が中学の卒業アルバムの写真を付けたネームプレートを首からぶら下げて立っていました。
「変わらんな~!」「今何してるんや!?」「懐かしいな~」
午前3時3次会会場にもまだ50名近くが残って騒いでいました。

僕はそれから2日間寝込みました(笑)

たった一人の縁と、たった一人の決断。
そして行動によって、こんな感動を生むことが出来るんだ。
ということがその後の僕の人生に大きな影響を与えてくれました。

皆に感謝するとともに、
あの日、自分の思いを信じ、失敗したっていいじゃないかと思えた自分自身に感謝しました。

人の縁。

奇しくもその前年、あの東北大地震で日本中が「絆」と言う言葉で結ばれていた時期でした。
日本自体も大きな転機があったそのタイミングで、僕自身も大きな転機を経験出来ました。

同窓会の最後の締めのあいさつは、3年の時の学年副会長で、なんと福島在住で、福島から駆けつけてくれた
女性にお話ししてもらいました。

素晴らしいことに、今年の5月80名の同級生が集まって第二回学年同窓会を開催することが出来ました。
人の縁は、一度切れても、何年経っても、またつながる。
人が生きるというのはそういう事ではないかと思います。

代表 ・ 中野 敦志