先日投稿した「普通のおじさん」の中で記述したクルンボルツの計画的偶発性理論の5つの項目について、自分なりに理解したことと自らの経験を交えて書いてみます。

その前に、計画的偶発性という言葉について先に説明します。
計画的と偶発性、まさに逆の意味の言葉をくっつけて表現されるこの理論。
違和感がありますよね。

この理論は、
人のキャリアは予期せぬ偶然に因るものだ
という考え方に立脚しています。

つまり、転勤や転職、倒産、結婚、出産、病気、事故、いわゆる計画していない予期せぬ出来事が起点になって今のキャリアが築かれているということである。

先ばかりを心配して、ああだ、こうだ、と考えてみても仕方がないということである。
もっと言えば、キャリアに目標なんていらないとも言っています。

キャリアの構築で大事なのは、予期せぬ出来事が起こったときに、どう対処するかにかかっているということです。

私自身の経験で言うと、
キャリアコンサルタントという資格を生かして人生を歩もうとしている今の私は、3年ほど前にはそんな考えは微塵もなかったし、その頃は真剣にタクシーコンシェルジュになろうと思っていました。

それが、人事部への異動という、誰も予想していなかった転機から始まっています。

当時の部門長から内示を受けた時に、拒否していれば今の自分はありません。
「今の仕事は慣れているし、時間的にも余裕があるし、いまさら新しい仕事なんか覚えたくない」と思えば断ることもできたわけです。
私はその時に初めて聞いた「キャリアカウンセラー」という言葉に興味をひかれて即答しました。
これは好奇心ですね。

次にキャリアコンサルタントという資格についても、講座を受講することも会社の強制ではありませんでした。
自ら受講しようと思ったわけです。役職定年を控えて翌年度から給与が激減するその時点で決して安い額ではない自己投資をしたわけです。
これはリスクテーキングですかね。

そして、その後のキャリアも様々な偶然の機会が訪れました。
あまりにキャリアコンサルタントの認知が低いのと、資格を取ってからの自己研鑽が重要だと思い、講座のクラスメートを誘ってこのwellbeingを作りました。

1年間、サラリーマンとキャリアコンサルタント勉強会のパラレルキャリアを経験し、今年の2月には大きな人生の転機、希望退職で34年間勤めた会社を退職しました。

今の自分はその過程で出来上がっていますが、将来もその延長線で出来るかどうかはわかりません。

私は、20代から40代まで、「人生は刹那だ」と思って刹那的な人生を送ってきました。
それはなぜかというと、~お恥ずかしいんですが~、ノストラダムスの大予言を小学校の頃に読んで、俺は37歳で死ぬんだ。
と思ったことから始まります。
一生懸命生きたって仕方ない。幼心に思ってしまったんですね。

お金は残さない、やりたいこと、欲しいものには躊躇しない。
お金を使って楽しい時期にお金は使うものだ。
お金は貸してくれるんだからどんどん借りればいい。
お金に縛られたくないと思って生きていたのが、結局、お金に縛られてたんですね。

そして今の私は、「人生は連続する刹那だ」と思って生きています。
この考え方はアドラー心理学で有名な岸見先生の「嫌われる勇気」で出会った考え方ですが、人生まるごと刹那だと思っていた自分が、連続する刹那だと言われた瞬間、ものすごく腹に落ちました。
極端な言い方をすると、いまだけが意味がある。ということだと思います。
過去も未来も刹那。深く考えずに切り捨てればいいんだと。

先に述べた機会もすべて点です。
その時点では、すべて点の出来事です。
あとから振り返ってそれを線にして、まるで物語のように語られるのは、その時、その時で、自分が思ったことを素直に選択、実行してきた結果なんだと思います。
なので、この後もまるで線のように物語は続いていくのでしょうけど、それはこれから起こる機会、つまり点を自ら選択いくだけのことなんだと思います。

これが連続する刹那であって、点は予期せぬ偶然だと。
予期せぬ偶然をとらえるために必要な要素が5つの項目だとクルンボルツの計画的偶発性理論は言っているのだと思います。

代表・中野敦志

※クルンボルツの計画的偶発性理論についてはあくまで私の個人的な解釈です。